脳性麻痺で生まれた我が双子の成長と現在の状態

障害児

 

現在、双子たちは16歳。高校1年生の学年だ。
県の早期療育センターに通っていた時(0歳〜2歳)、就学前の療育施設に通っていた時(2〜4歳)、うちの子たちが歩けるようになると言ってくれる訓練の先生や、病院の先生はいなかった。
でも、親の私は、可能性を探り、いろんな民間療法の先生に会いに行った。
四国 松山の柳原能婦子先生、近くは湘南台のドーマン法の先生、座間市のスーケン阿多義明先生。
可能性はあると思った。
すぐにというわけにはいかないが、継続訓練により可能ではないかと思った。
ただし、この「継続」が難しい。
いつも言い訳になるが、双子 となるとおっくうになってしまう。
費用も時間も、手間も。
愛情が少ないと思われるかもしれないけど、
そうだった。
費用なんて、スペシャル高いのだ。
それでも柳原先生には、2〜3回、スーケンには、月1で3年ぐらい通った。
その甲斐あったか、本当ならもっといけたのかわからないが、
双子の一人は今、独歩に近い状態まで来た。
もう一人は、まだまだだけど、でも後ろから介助すれば、足を運ぶ。
あの頃を振り返る。
柳原先生には刺激と勇気をいただいた。
元々は普通のお母さん。医者に見放された息子の難聴を治したくて、図書館や古書店で学術書を読みあさり、自分自身で人体実験までして、治す方法を探り、実際治された。それを、他の方にも伝えようということで施術士のの資格を取り、多くの方の病をよくすることに使命をお持ちの方だった。その方法も独特で、体が持つ本来の力を引き出すというものだった。手作りの酵素温浴、独特のマッサージ施術、日光に代わる光の照射など。
もちろん施術の効果はすごく、すぐ双子たちの様子がその場で変わったり、普段出ない便が大量に出たりした。
もっと通えていれば、今はどうだったかと、時々思う。
スーケンは、「やらせなければ、できるようになるわけがない。できないのは知らないだけだ」 そんな考え方だった。
ので、今まで肢体不自由の障害児はというと、温室の中で大事に育てられているケースがほとんどだと思うのだけど、どんどん体を動かす体操をするのだ。
たとえ嫌がっても。
それは、普通人の私たちがやっても体に良さそうなストレッチだったり、(そこまでは大変良いが)
鉄棒にぶら下がらせて、手を離したら落ちるという経験をさせてみたり、
後ろに仰け反ると倒れるという思いを経験させたり、
手を踏ん張らないと、洗面器の水に顔がつくという経験をさせたりと、
若干過激で、周りには疑問の顔をされることが多かった。
ストレッチは、はじめのうちは痛いからか、ワンワン泣いたが、やっていくうちに慣れて1ヶ月もすると泣かなくなった。この運動は、本当はずっと続ければいいと今でも思っているが、だんだん時間を取れなくなりいつしかやめてしまった。これでは、いけないとある時、強制的に時間を作るために、ヘルパーさんに来てもらうスケジュールを組んで取り組んでみた。
そしたら双子の一人のYの骨折事件が起きたのだ。
それですっかり私はやる気を失った。
(無理して怪我させてもしょうがない)そう思った。
骨折してしまって、そこからはゆっくり元の能力まで戻そうとしたが、
本人は少し怯える様子もあったので、本当に徐々にであった。
これが、二人の差になってしまった可能性はある。
もともとの能力の差かもしれないし。
ちょうどその時期、小学校の介助員の方の対応が、双子たち(の一人)を大きく成長させた。
車いすにはほとんど乗らず、小学校内のほとんどの移動を介助歩行でやって下さった。
2階に上るときは、階段も挑戦されていた。
後で聞いた私はびっくりしたものだ。
そんな一人の積極的な介助員のかたのおかげで、
Hは、ずいぶん身軽になった。
介助がとっても軽くて済むのだ。
たまに行く訓練より、日常生活が大切だと思った瞬間だ。
中学校では、特別支援級に入り、手厚い介助をうけていた。
でも、そこでも日常生活の中で成長があった。
以下は、当時書いていた私のラインブログだ。
久しぶりに見て、改めてそう思った次第だ。
出来ないと決めつけない
うちの子たちは、手は動くのだけど、
自分の意思通りに動かせないようだと思っていた。
車椅子も自分で漕ぐ様子はサラサラなかった。
ので、ある意味、諦めていた。
ところが、学校の先生に
「最近自分で漕ぐんですよ」と言われ、
実際やっているのを見て驚いた。
人間の可能性は、
予測できるものではない❗️
そう思い知った出来事だった。
出来ないと決めてしまえば、
それ以上の進化はしないのだから。

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